鎖樋について About Rain Chains

 雨樋の一種である鎖樋は日本の建築の歴史と共に時代にあわせた進化を続けています。

鎖樋について

樋は主に雨の多い地域で利用され、雨が軒先から垂れて地面を掘り返すことを防ぐことや、建物自体を雨水の濡れから防ぎダメージや劣化から守る役割があります。

「鎖樋(くさりとい)」は屋根のすぐ下に横方向に取り付けられた横樋と呼ばれる樋から地面に向かって雨水を導く縦樋の一種です。

かたちはリングや花びらのような特徴的な形の樋をいくつも連結して鎖状になったもので、これに雨水を伝わせて流す縦樋として使います。縦樋は通常、パイプ状のもので雨水の流れを見せずに、そのまま地面に流すためのものですが、鎖樋は屋根から横樋に導かれた雨水が鎖を伝うように排出されるのを目で見て楽しむ、日本で発祥した建材です。四季のある日本の季節、情緒を表現する建材として、古くから社寺仏閣や和風建築に利用されてきました。

鎖樋の歴史

鎖樋は、日本の建築様式の一つである数奇屋造りに用いられたことが始まりとなります。

数奇屋とよばれる建築が出現したのは安土桃山時代。小さな茶座敷を「数奇屋」と呼んでいました。茶人たちは格式ばった形や豪華な装飾を良しとせず、庶民の素朴な材料や技術をこだわりなく採用して数奇屋造りの建物が作られていました。鎖樋も同様に素朴な材料が用いられ、当初は植物の棕櫚(しゅろ)の表皮の繊維を編んだ棕櫚縄を、竹や木で作られた横樋から垂らして雨水を伝わらせ、鎖樋としていたそうです。棕櫚縄を用いた鎖樋は、現在でも東京都小金井市にある「江戸東京たてもの園」へ移築された「三井八郎右衛門邸」の玄関横樋で利用されており、見ることができます。

 

江戸時代までの日本の住宅は茅葺きの家が多く、一箇所に集中的に雨が垂れるようなことがなかったため、雨樋は一般的にはあまり使われることもなかったようです。

江戸時代以降、東京を中心とした一部の都市に人口が集中した結果、住宅が密集するようになり雨水が隣家とのトラブルの原因となりました。また、日本の建築の特徴である木と茅葺きで作られた家は非常に燃えやすく、徳川幕府は防火のために陶器で作られた瓦を屋根に葺くことを推奨したため、瓦屋根とともに雨樋が一般にも普及していきました。

江戸東京たてもの館
三井八郎右衛門邸 棕櫚縄の鎖樋

用途性から意匠性への広がり

明治以降、銅製の板が一般にも使えるように普及し、それを板金職人が加工して金属製雨樋として広がっていきました。銅は水に強く、鉄よりも柔らかいために職人が加工しやすく、さらに銅には空気中の酸素と反応して発生する緑青が美しいという特徴があり、雨樋の他にも瓦に代わる屋根材料として使われる素材となりました。

和風建築専用の樋として日本で独自の進化を続けてきた鎖樋は、約半世紀ほど前に一般的な住宅にも少しずつ使われるようになりました。その後、住宅の洋風化が進み一時使われる機会も少なくなっていましたが、近年ではその意匠の面白さから、建築家が和風の雰囲気を活かした建物に使用する場面や、現代的な商業ビルなどにも使用され活用にも広がりを見せています。また、昨今では金属加工の技術が大きく向上し、銅の他にもステンレスやガルバリウムなど様々な金属素材の雨樋が普及しています。

雨水をランドスケープの一部に

瀬尾製作所ではカップ型の鎖樋が作り始められた1960年代から鎖樋を製造してきました。

以来、新しい形の鎖樋の開発を続け、2010年にはより価値の高い製品の提供を目指して自社ブランド「SEO Rain Chain」を立ち上げました。

このブランドでは「雨水をランドスケープの一部にしたい」という想いの下、普段は憂鬱な雨も建築の景観に取り込み、愉しむための道具として、尚且つ、現代建築とも調和する脇役としての鎖樋の新たな可能性をみなさまにご提供したいと考えています。

現在では、ユネスコの世界遺産として登録されている日光東照宮の宝物殿に当社の鎖樋を採用されたほか、ビルのファサード、国内外の様々な建築家や建築会社が設計するデザイン性の高い建築物にもご使用いただいております。

 

コープ共済プラザ(2015年6月竣工) 鎖樋製造/瀬尾製作所(株)